Q&A | #彼女のストーリー

#彼女のストーリー: PuckとのQ&A

#彼女のストーリー は女性ジャーナリストにスポットライトを当て、その活躍ぶりを紹介するTwitterのオリジナルインタビューシリーズです。今回は動画フォーマットをTwitterスペースでの会話に変更し、PuckJulia Ioffeさん、Tina Nguyenさん、Tara Palmeriさんにご登場いただきました。記事でハイライトをお読みのうえ、ツイートをタップして会話全編をお聴きください。

 

Juliaさん、Tinaさん、Taraさん、ようこそ!さっそくですが簡単な自己紹介と、これまでにPuckで取り上げたテーマや、ご自身が手がけた中でもお気に入りのストーリーについて教えてください。


Julia Ioffe(以下JI): 私の担当範囲は大まかに言ってワシントン、外交、国家安全保障です。

これまでPuckで担当したストーリーの中で特に気に入っているのは、編集者のBen Landy、(Puckの)共同設立者であるJon Kellyとの会話から始まったものだと思います。この記事ではプーチン氏が戦後のレニングラードで過ごした幼少期と、ドヴォールの役割を取り上げています。ドヴォールとは主に都市部の建物に囲まれた中庭のことで、ソ連のベビーブーム期に鍵っ子たちが育った場所です。そしてこの中庭で培われた社会のルールが、プーチン氏によってクレムリンに持ち込まれました。この記事が生まれたきっかけはPuck社内での何気ないやり取りです。このようにとても気さくに意見を言い合える環境で、Jonはよくこう言って私たちを励ましてくれます。自分には当たり前でも読者にとって当たり前でないことは多い、それをどんどん発信していこう、と。

 

Tara Palmeri(以下TP): 私の担当は政治です。私が発行しているニュースレターは『Washington Mall』という名前で、ワシントンに関するすべてを取り上げることからそう名付けています。ワシントンでは権力をめぐる駆け引きが多く、人々は政治の動きを予測しようとし、各政党は(たとえば)経済であったり、中絶に関する最高裁の判決だったりを自分たちに有利な形で利用しようとします。22歳のときCNNのニュースアシスタントとして初めて就職し、実際に配属されたのが前室(スタジオでの番組収録の際、出演者が出番間際に待機する場所)でした。私にとって前室での会話は他のどんな話よりも魅力的でした。そのすばらしさを皆さんと分かち合えたらという気持ちで、今こうして働いています。話題のテーマを扱った記事を読むのも、テレビを見るのも良いのですが、私が伝えたいのは、大きな声では言えないけど今後起きる可能性があること、まだ表面化していないことに関する情報です。

 

Tina Nguyen(以下TN): 私の受け持ちはかなり変わっているのですが、特定の政治環境の中でしか成り立たないものです。リズ・チェイニー氏からQアノンまで、右派や共和党に関わるすべてを扱っています。独自のルールと極端に党派主義的な視点を持つ独自の世界です。それが大多数のメディアによって奇妙な形で取り沙汰されてきた経緯があります。この政党が何を考えているのか、どんな会話をしているのか、何を重視しているのかを観察し、その意味を読み取り、より多くのオーディエンスに伝えることを私自身が楽しんでいるのです。

例えば…。今までのストーリーで特に思い入れがあるのは、ロン・デサンティス氏がドナルド・トランプ氏に対抗するには時期尚早で、今のデサンティス氏が適任だと考える人たちは思い違いをしている、といったことを伝えるためにあらゆる努力をしたことです。

 


ジャーナリズムの道に進んだきっかけは何でしょうか?いつ頃から「これを仕事にしたい」と思い始めましたか?

TP: ジャーナリストになろうと思ったのは、たしか5歳くらいだったと思います。ベッドの下に潜って戦場ジャーナリストごっこをするようになった頃です。本気でジャーナリストになりたい、と言ったときのことを覚えています。母は「何をバカなこと言ってるの、あんな花形職業、あなたには無理よ」と言いました。私の母はパラリーガルの仕事をしていました。良い職業ですが、母たちの世代は女性は男性の補助に回るべき存在と思い込んでいる人が多いと感じます。わかりますよね?今、この会社で私たち女性がパートナーやプリンシパルになれるのはすばらしいことです。

 

TN: 私の場合はたぶん高校3年生ぐらいです。当時は自分のやりたいことがよくわかりませんでした。そんなとき、Baker先生という方が勧めてくれたノンフィクションライティングの授業を取りました。その授業で、私は問題の渦中に飛び込んでいって何が起きているかを突き止め、それを文章にして他の人に伝えるのが本当に好きだということに気づいたんです。

雑誌記者という、軽妙で力強い文章を書くことを生業とする人たちの世界に魅了されました。それでVanity Fairのような雑誌の記事を書きたいとずっと思っていたんです。残念ながら私が卒業する頃のジャーナリズムはかなり低迷していたので、ブログをたくさん書くことになりました。でも何かを辛抱強く続けて、その間なんとか経済的に持ちこたえることができれば、きっと良いことがあります。

 

JI: 私は移民の子どもで、成績がよかったので医者になろうと思っていたのですが、ある時、科学が嫌いなことに気づきました。自分はいったい何が得意なんだろう、論文を書くのは得意だからそれで食べていけるかも、と単純に考えていました。原稿が進まなくて悪戦苦闘するたびに、あのときは何て愚かだったんだろうと思います(笑)。

私が大学を卒業したのが2005年なので、2007年あたりからでしょうか。紙媒体のジャーナリズムでは大量解雇が相次ぎ、もうこの業界では原稿チェック、郵便係、インターンから始めて外信部長や編集長に登り詰めたり、TimesやThe Post、The New Yorkerでキャリアを40年積み上げたり、ということはできないと人々が気づき始めていました。ちょうどメディアの大変動が始まった時期で、この業界でキャリアをスタートさせるには非常に間が悪く、この業界にとどまるのはおそらく相当ばかげていたと思います。でもそうして良かったと思いますし、Puckに出会えたのもそのおかげです。

 

ジャーナリズムの道に進むきっかけとなった特定の人物はいますか?また、優れたメンターとそうでないメンターを分けるものは何だと思いますか?

 

TP: これまでキャリアを通してたくさんの女性に出会いました。私を信じ、苦しいときに背中を押してくれた人たちです。その1人であるJulie Masonさんは、最初の仕事の1つであるWashington Examinerで一緒に働いていた方です。New York Postにいた頃、Michelle GotthelfさんはMetropolitanの編集者でした。いつも私を気にかけてくれる方で、ある時は私に助け舟を出して、そういう(疑いの)感情を持つのはごく普通のことなのだと気づかせてくれたのです。ブリュッセルに移ったとき、Carrie Budoff Brownさんもそうでした。Brownさんのおかげで、必ず次のストーリーが見つかる、進み続けよう、これが自分のやるべきことなんだと感じられるようになりました。

キャリアは長期戦で、マラソンのようなものだと20代の頃に知っておく必要があったと思います。とても感謝していますし、私にできるのは他のジャーナリストたちにそれをお返しすることだけです。



JI: 私のキャリアを通じて、最も良き女性のメンターであり、成長するにつれ友人となり、今でもメンターであり続けている人物といえば、Susan Glasserさんです。現在はThe New Yorkerのスタッフライター(常勤の記者)として活躍されています。男性が自分と似ている他の男性を雇うのと同じように、Susanさん自身も若い頃モスクワの特派員だったこともあって、私にチャンスを与えてくれたのだと思います。当時私は27歳で取材の経験が少なく、自分の記名記事の件数も多くありませんでしたが、私に多くの自由を与え、多くの信頼を寄せてくれました。今思えばそれは異例なことでした。

Susanさんと話すたび、「次はどうする?他にどんなことを考えてるの?」と聞かれました。私を励まし、外交政策に関するコラムを持たせてくれました。これも今思うと、私には大それた話です。Susanさんはそれを承知のうえで、私が成長する環境を作ってくれたのだと思います。

 

TN: 私は、TaraやJuliaとはまったく異なる経験をしました。ジャーナリズムの道に進むにあたって、私はそれほど華々しい経歴を持っていたわけではありません。いわゆるブログ畑のようなところからスタートしました。Vanity Fairに入社したときは、自分の役割が何なのかよくわかりませんでした。もっと大きく報道の世界に踏み込みたかったのですが、ジャーナリストとしての質よりも量を優先するような環境にいたこともあり、そのようなキャリアを築いていける保証はありませんでした。

私が本格的なジャーナリズムの道に進むきっかけをくれたのはJon Kellyさんでしたが、もう1人、New York Magazineの編集長だったJohn Homansさんという、おそらく世界でも指折りの伝説的な編集者もいました。なんとかHomansさんを雇うことができたKellyさんは、そこから部下のライターに対してすばらしい接し方をするようになりました。Kellyさんは相手と同じ目線で、気を付けなければならない理由を考えてくれる人でした。いかにも気難しそうなニューイングランドのおじいさんといった風貌で、よく通る声にはボストン旧家のアクセントがありました。Kellyさんが男性だけでなく多くの女性にとっても良き指導者だったのは、人の話を聞いて、そこから話を引き出す術を心得ていたからだと思います。



女性の仲間を手助けするにはどのような方法があると思いますか?ご自分が本当に効果的だと思うこと、ご自身にとって役に立ったこと、他の人を手助けするために心がけていることは何ですか?

 

JI: Puckに限らず、これまでメンターとして他の若い女性を指導したとき、こういう状況ではもっと男性のように振る舞うようにアドバイスしてきました。たとえば、男性が昇給を求めるなら自分も昇給を求める。男性が積極的にアピールするなら、自分も遠慮せずもっと積極的に、もっと自信を持って自己アピールをする。男性が多くのことを切り抜けられるなら、女性もやろうと思えばできるはずです。私はこれまで何度かそのせいで鼻を折られたことがありますが、それで得をしたこともあります。

 

TP: 何に対しても自分が折れればよいという考え方はやめるべきです。女性が何かするときには、いつも恐ろしく感じられるものだと思います。特にこの分野では、私たちが働き手としていかに新種の生き物であるかを理解するのは困難なことです。私たちの世代の何十年も前から女性が働いていることは知っていますが、まだまだ十分に追いついていない部分があると思います。私たちはもはや単なる補助役ではなく、女性の地位は向上しているのです。


TN: JuliaとTaraが言ったことに100%同意します。これまでずっと男性中心の環境にいた私のような人間にとって、全員が女性ジャーナリストという環境で働けるのはすばらしいことです。私たちは完全に協力的でオープンでいられるこのような環境を作り上げ、自分のキャリアアップを目指しつつお互いに支え合いながら、この会社を成長させることができているのです。

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